古澤廣治

古澤棟梁碑  天満古澤家民有地内

逸見昌寿翁之碑
逸見昌寿翁之碑



古澤廣治(ふるさわこうじ)氏は、天満の高橋家(たかはしけ)に生まれ、古澤家に婿養子(むこようし)として入りました。
棟梁(とうりょう)として、特に両所地区の家を数多く(かずおおく)建てた(たてた)そうです。
大変技術(たいへんぎじゅつ)に優れた(すぐれた)棟梁だったそうです。

明治(めいじ)31年5月12日に、両所地区内のほぼすべての家を焼く(やく)火事(かじ)がありました。
両所大火(りょうじょたいか)です。

この頃(ころ)、古澤棟梁は30代後半(こうはん)でした。
古澤棟梁が建てた家が両所に多いというのは、火災(かさい)で焼けた家々を次々(つぎつぎに)に建てていったということなのかもしれません。

古澤棟梁の4人の弟子(でし)が棟梁の還暦(かんれき)を祝って(いわって)建てたのが、古澤棟梁碑(ふるさわとうりょうひ)です。
天満の治部橋寄り、天満を貫く(つらぬく)通りの(とおり)南側(みなみがわ)の古澤家の柿(かき)の木の近くに、石碑(せきひ)は建っています。
大正12年1月11日建立だそうです。

民家内(みんか)に立つ碑(ひ)ですので、参拝(さんぱい)するときはくれぐれも失礼(しつれい)のないようにしてください。